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ジュリエットからの手紙

ジャニヲタなライターの戯言です

「ジャニーズである」ということ。

マッチがデビューして35年。

ということは私のJ歴は足掛け37年を超えたわけです。

途中離脱しまともな業界人になれそうだったのにいともあっさり嵐で

舞い戻りました。チッ(笑)

田原俊彦というアイドルの存在を知ったのは中学2年の頃。

文学少女松山千春に傾倒していた田舎の中2女子の机の上に広げられた

友人の「セブンティーン」という雑誌。

そこには今度「3年B組金八先生」というドラマでデビューする田原俊彦という

男の子の写真が1P載せられていました。

 

「天使?」

 

当時新御三家と言えば郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さん。他にも

城みちるさんとかもいらっしゃいましたが、彼らに夢中になる近所のお姉ちゃん達を

バッカじゃないの。キャーキャーうるさい。こんな女みたいな格好して

内容のない下手な歌を歌ってる人達に、お揃いのハチマキとかTシャツとか着て

ミーハー??信じられない。あほすぎるwwww」と思って見ていました。

 

それまでの私の信念はあの1枚の写真でいとも簡単に吹き飛んだわけです。

それどころか数ヵ月後には大人数でハチマキどころか

衣装のようなハッピを着て全国を追っかけまわす人になってしまうとはw

 

今と違って携帯もネットもない時代。

「追っかけ」「親衛隊」はファンの人の間で噂される得体の知れないものでした。

特に地方のファンにとっては

「お気に入りのファンがいる」(らしい)

「大きな親衛隊はとしちゃんに会える」(らしい)

全てはタレント本人とファンの人の狭間に霞のように見え隠れする

不確かな存在でした。

その場所に実際に立ち、自ら足を踏み入れなければ分からない世界。

今よりずっと少ない限られた閉鎖的な世界でした。

しばらくして「親衛隊」を

JFCでは体裁が悪いので「応援グループ」と呼ばせていました。

中学、高校生のような普通の学生さんが「応援グループ」に増えてきたのは

「シブがき隊」~「光GENJI」くらいからだったと記憶しています。

今ならどこに住んでいようが学生だろうが主婦だろうが

SNSで「○○遭遇」と検索するだで

担当の1日の行動を追うことだって可能ですが

当時は生の情報が全ての世界。

どれだけ「現場」にいるか、が重要でした。

この場合の「現場」とは

コンサートや公開録画といった公の仕事ではなく

「雑誌取材」「コンリハ」「ボイトレ」「映画やドラマのロケ」「レコーディング」

「ダンスレッスン」

などのお仕事をさします。

 

朝から晩まで追っかけて

毎日毎日追っかけて

 

まともな学生や職のあるひとには到底無理w

というかまともな人には無理w

 

応援するタレントがNo.1アイドルなら私たちはNO.1のファン。

しかも芸能界でNo.1に君臨するジャニーズ帝国の。

「全国ツアー」は当然のように

大きな会場で豪華セット、有名なミュージシャンやダンサーをバックに従え

「ディナーショー」はオープンしたばかりの湾岸のリゾートホテルの

一番大きな会場で・・・。

ドラマやCM、ラジオ番組も当たり前のことだと思っていました。

私たちが応援する田原俊彦の才能と実力、人気をもってすれば、と。

 

田原俊彦がジャニーズじゃなくなるなんて

あの頃の誰が想像できたでしょうか。

 

辞めてからのバッシング

(巧妙にJに操作された内容をマスコミはそのまま流しました)

レコード会社の解雇、Jタレとの共演NGはもちろんのこと

今まで後輩だったタレまでTV番組内で面白おかしく

田原を叩きました(誰かは覚えてるぞw)

 

Jを辞めてしばらくして、田原のディナーショーがあると聞き

誘われるままに会場に行きました。

そこは田舎の地方都市の2流の結婚式場。

ディナーショーといえば

一流ホテルのロビーにあるラウンジで

ふわふわソファにどっかり座り、

シャンパンを飲みながら仲間と開演を待つ・・・・

はずが、

薄ら寒いロビーで

招待券で来ちゃった風の

おばちゃんたちに混じって安物の猫足風の(笑)硬い椅子に座りながら

今更ながらに「J」でない田原俊彦を受け止めました。

いえ、正直に言います。

 

受け止めず逃げ出しました。

 

田原俊彦が好きでした。

でもそれは「J」という華やかでキラキラして眩しいベールに

包まれた「ジャニーズの田原俊彦」が好きだった事に気がついたからです。

多くの仲間と毎日朝から夜中まで面白おかしく、

何よりも大きな会場や綺麗なホテルでキラキラとして堂々とした

田原俊彦」を「応援する自分」が好きだったことに気がついて愕然としました。

田原俊彦という人間を丸ごと大好きだったわけではなかったんですよね。

 

ですから今は自分が応援する担当には

どんな辛いことがあっても「J」に

しがみついてほしいと思います。

シングル、アルバム1位も

ドル誌を華々しく飾れるのも

華やかな衣装も

音楽番組に新曲リリースのたびに出られるのも

CMもドラマもライブも

「J」であってこそ。

 

私は田舎の結婚式場の最前より

東京ドームの天井で自担を見ていたい。